大人の目から見て「とてもよい子」「手のかからない子」は、子供本来の姿ではありません。むしろ、これは「我慢の子」で、自分の意思を抑えた姿です。
大人は「我慢強い子」を見て、「君は素晴らしい」とよくほめます。その子はますます我慢強く見せて頑張ろうとします。でも、こうした子はちょっとしたことでつまずきやすいのです。
最近、こんな子供がとても増えています。不登校や非行の子供の中に、かつて「とてもよい子」が多いことも、私のもとを訪れた不登校児から教えられました。
親や大人がこんなに素晴らしいと思っていたはずの子供が、主に10歳前後にさまざまな症状を訴えて病院を受診しても、「どこも悪くない」と再三言われ、次第に不登校になってしまうのです。
多くの親は、子供に対して強い登校への刺激を繰り返し、その勢いに押された子供はいったんは登校します。でも、それは長続きせず、ついには行けない気持ちをあらわにして頑固な不登校になるのです。
私はこれを「頑固な自己主張」ととらえています。子供は自分の意思を不登校の形で表してきた。自分の意思を表せたことは立派な社会人への基礎ができたのだ、と考えます。
だから、両親にこう話します。「親や大人が期待した道にはほとんど進まないことを認め、その子のペースで進む道を開いてあげることが大切です。そのときを待ってあげましょう」
学校はどうでしょうか。登校しない子はだめと、今も烙印(らくいん)を押しがちです。だが、学校嫌いや怠学で、だめ人間扱いする時代は終わりました。
いろいろなことが原因で、学校へ行きたくても行けなくなり、どうしていいか分からない不安な子供が不登校になったと考えるべきです。学校は遠方からの支援、つまり「いつでも待っているよ」で十分なのです。
小児科医として多くの不登校児にかかわってきました。そのほとんどが自分のペースで学校や社会に復帰しています。しかし、2002年度の全国の中学生の不登校は37人に1人(2.7%)に上ります。
周囲の大人が、子供たちの悩める心を優しく受け入れられるよう、皆で積極的に考えなくてはいけないと思うのです。
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