<51> 頑固な自己主張〜不登校 「待つ」のが大切〜

 大人の目から見て「とてもよい子」「手のかからない子」は、子供本来の姿ではありません。むしろ、これは「我慢の子」で、自分の意思を抑えた姿です。
 大人は「我慢強い子」を見て、「君は素晴らしい」とよくほめます。その子はますます我慢強く見せて頑張ろうとします。でも、こうした子はちょっとしたことでつまずきやすいのです。

 最近、こんな子供がとても増えています。不登校や非行の子供の中に、かつて「とてもよい子」が多いことも、私のもとを訪れた不登校児から教えられました。
 親や大人がこんなに素晴らしいと思っていたはずの子供が、主に10歳前後にさまざまな症状を訴えて病院を受診しても、「どこも悪くない」と再三言われ、次第に不登校になってしまうのです。

 多くの親は、子供に対して強い登校への刺激を繰り返し、その勢いに押された子供はいったんは登校します。でも、それは長続きせず、ついには行けない気持ちをあらわにして頑固な不登校になるのです。

 私はこれを「頑固な自己主張」ととらえています。子供は自分の意思を不登校の形で表してきた。自分の意思を表せたことは立派な社会人への基礎ができたのだ、と考えます。
 だから、両親にこう話します。「親や大人が期待した道にはほとんど進まないことを認め、その子のペースで進む道を開いてあげることが大切です。そのときを待ってあげましょう」

 学校はどうでしょうか。登校しない子はだめと、今も烙印(らくいん)を押しがちです。だが、学校嫌いや怠学で、だめ人間扱いする時代は終わりました。
 いろいろなことが原因で、学校へ行きたくても行けなくなり、どうしていいか分からない不安な子供が不登校になったと考えるべきです。学校は遠方からの支援、つまり「いつでも待っているよ」で十分なのです。

 小児科医として多くの不登校児にかかわってきました。そのほとんどが自分のペースで学校や社会に復帰しています。しかし、2002年度の全国の中学生の不登校は37人に1人(2.7%)に上ります。
 周囲の大人が、子供たちの悩める心を優しく受け入れられるよう、皆で積極的に考えなくてはいけないと思うのです。

(南部春生・2004/05/12 北海道新聞)
 

<52> 家庭と社会〜「憩いの場」つくる努力を〜

 親や大人が子供を大切にする条約、児童(子ども)の権利条約が国連で採択されたのが1989年、それから15年の歳月が流れました。2004年は日本がこの条約を批准してからちょうど10年になります。

 子供を大切にする国内の法律には、以前から児童福祉法がありました。最近では増加の一途をたどる児童虐待を防止する法律などもあります。残念ですが、社会では子供を大切にするのとは逆の現象が起こっているようです。

 児童の権利条約からいくつかを取り上げてみましょう。子供は健康に「育つ権利」があります。もっと具体的には、子供は母乳を授かる権利があると言えましょう。
 この条約では、子供が安全に「守られる権利」も掲げられています。親や身内や社会全体が、子供を守らなければならないのです。

 しかし、現実の家庭や社会はどうでしょう。
 子供にとって家庭は本来、憩える快適な場所でなければなりません。癒やされる場でなければなりません。これに対し、社会は緊張と不安の場と言えるでしょう。

 親は社会生活の中で緊張で疲れて家に帰ってきます。家で子供とふざけたり、遊んだり、話をするゆとりがない家庭がとても多くなっています。

 子供が初めて経験する社会は、祖父母など身内との関係です。その先にあるのが幼稚園や保育園でしょう。子供にとって幼稚園や保育園、小学校などの社会は緊張と不安の場です。元気そうに見えていても、実は疲れて帰って来るのです。

 だから、親はどんなに忙しい一日だったとしても、子供に寄り添ってゆっくりと眠りにつける環境をつくってあげてほしいのです。そうすれば、子供は翌日、心晴れやかな状態で、自分の社会へとまた出て行くことができます。

 子供は社会の中でさまざまな小競り合いに直面してきます。「社会は緊張の場」ですから、家では子供に優しく接してください。「家庭は憩いの場」に徹していただきたいのです。

(南部春生・2004/05/19 北海道新聞)
 

<53> 夫婦、親子関係〜互いに思いやる心を〜

 人間関係ほど複雑で奥の深いものはありません。でも、その基礎となるのは親子関係です。子供たちが築くきょうだいや友人などとの関係の中には、親子関係のあり方が反映されています。

 人は結婚した当初、パートナーを互いに思いやり、励まして生活を共にするものです。しかし、妊娠や出産、育児の段階に入ると、その関係が様変わりしてしまうことがよくあります。
 なぜかと言うと、お父さんもお母さんも、それぞれ自分の父母に育てられた生活が頭をもたげてしまい、異文化同士が小さな争いに発展してしまうからです。

 「妊娠や育児が始まったら、互いが育った家庭のすべてを出しつくして生活した方がいい」。私は、お父さんやお母さんにこんなお願いをします。「育児に関する話し合いやけんかは大賛成」なのです。
 「互いに良さを吸収し合って、仲の良い育児をしてください」。私はこうも助言します。でも、これまで仲むつまじかった2人が「私の言う通りにしてくれないの」「僕のやり方が間違っているのか」などと言い合って、次第に険悪になっていくこともあります。

 どちらかが一方的では、子育ても、夫婦同士のパートナーの関係もうまくいくはずがありません。単純な言い方ですが、人間関係はすべて「仲の良いけんか」で成り立っているのです。

 「人のため」「君のため」「子供のため」などと、人はよく言いますが、本当にそうでしょうか。自分が最も大事なのではないでしょうか。だから、相手に譲る気持ちやゆとりがないと、物事は前に進みません。

 夫婦では、パートナーを互いに思いやり、いたわりましょう。親子では、親がまず子供の気持ちになって理解に努めましょう。その後で「お父さんはこう思う」「お母さんの考えは…」などと話して考えてもらいましょう。こうすることで、子供はさまざまな人間関係の中で立派に生きていけるようになるのです。

 少子高齢社会のいま、子供にはたくましく、思いやり深い心を持って生きていってほしいものです。どこの家庭でも、子育てはパートナーとよく話し合い、幸せで楽しい生活を送ってほしいと願っています。

(南部春生・2004/05/26 北海道新聞)=おわり=